若狭は日本海の豊かな幸に恵まれ、古来より「御食国(みけつくに)」として奈良の都、京の都に、魚介類を届けていました。また大陸に通じる海の道と、都へ通じる陸の道の交わる重要な交易の結束点でもありました。この若狭と都をつなぐ交易の道は、大量の鯖が運ばれていたため、いつのころからか「鯖街道」と称されるようになりました。
熊川宿は鯖街道最大の宿場町であり、若狭から都に運ばれる物資の中継地でした。熊川宿が、現在も残るまちなみのように発展したのは、16世紀に若狭の領主であった浅野長政が、宿場町と位置づけたことにはじまります。当時40戸ほどの寒村であった熊川は、このことにより200戸を超える集落へと発展しました。また寛永年間(1624〜1644)に小浜藩によって番所が設置され、江戸期は若狭と近江の国境の町として機能してきました。
これらの歴史的背景によって築かれた1.1kmにも及ぶまちなみは、平成8年に福井県ではじめて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。また平成27年には「海と都とつなぐ若狭の往来文化遺産群〜御食国と鯖街道〜」として日本遺産の第一号に認定されました。