インタビュー
2020.04.03

“ぬくもり”のある町として在り続けてほしい

熊川宿に関わる人の視点を通じて、熊川宿の魅力を伝える連続インタビュー。今回は、熊川宿の町並み保全に携わってこられた若狭三方縄文博物館館長の永江さんにお話を伺いました。

 

 

 

---永江さんが熊川宿に関わり始めたのはいつ頃ですか?

僕は幼い頃、熊川宿の保育所に通っていました。ちょうど菱屋の前にあったバス停を使ってましたよ。 当時は生活の為の商店がたくさん建ち並んでいて、ここら辺では一番栄えていました。 そして、平成2年から文化財担当職員として熊川宿に関わり始めることになりました。 当時、熊川宿に下水道が整備されることになって、建物のファサードがガラッと変わる可能性がありました。 早急に町並み保存に取り組まないといけないとなったのですが、あまり具体的な動きはありませんでした。

 

---そこから町並み保全が動きだしていくきっかけは何だったんですか?

大きな契機となったのは、平成5年に空き家となっていた旧逸見勘兵衛家住宅(※1)の外壁が大きく砕けてしまった事です。 所有者は危険だから取り壊そうって言ったんですが、僕はこの建物が無くなってしまうと熊川宿で町並み保全なんて考えられなかった。 当時就任ばかりだった霜中町長と、旧逸見勘兵衛家住宅の修繕から町並み保存をやっていこうということになり、本格的に町並み保全が動き始めました。

 

---旧逸見勘兵衛家住宅の修繕からどうやって町並み保全が進んでいったのですか?

そもそも僕が熊川宿に関わる前に、二度の大きな調査が行われていたのですが、いずれも伝統的建造物群保存地区(以下 伝建地区)の選定に至らなかった。 地区選定されると、家に釘一本打てなくなったり、庭木1本伐れないことになり、ゆくゆくは家ごと国に乗っ取られるんじゃないかと、住民が敬遠したからです。 でもそれは決して悪い思いじゃなくて、生活ありきの熊川宿で在り続ける事を住民が選んだということです。 その中で旧逸見家住宅は、古い建物を復元することを目的とはせずに、現代でも伝統と共存して住まうことのできる建物として復活する事を目指しました。 まちづくりとしての町並み保全が住民に理解されたことで、平成8年に伝建地区に選定されました。

 

---住民の暮らしが尊重されたことで、伝建地区としての熊川宿があるんですね。これからの熊川宿はどのような町になっていって欲しいですか?

ここは伝建地区でありながらも、大々的に観光を目指してきたわけではありません。 あくまで生活する場所として、ぬくもりのある町として在り続けてほしいと思います。 熊川宿のまちづくり憲章に「みんながよくなるまちづくり」というのがあります。 でも「みんな」とはどこまでの事を言うのか、難しいところはあります。 僕はここで生活する人も、お金を稼ぐ人も、観光に来る人も、熊川に関わったことのない人たちにとっても、心豊かな町であって欲しいです。 最近は外から来てくれた人たちが町を盛り上げてくれています。いい人間関係の輪が世界に広がって、いい刺激が生まれたらいいなと願っています。

 

永江 寿夫

若狭三方縄文博物館

https://www.town.fukui-wakasa.lg.jp/jomon/

 

※1 平成7年に町有形文化財指定された住宅。


トピックス一覧に戻る